赴くままに

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〜元製薬会社MRが青年海外協力隊でUgandaに行きます〜

訓練所生活54日目にてアキレス腱断裂

2019年度1次隊参加の際には、

3月にはコミュニティ開発の技術補完研修が5日間東京にあるJICA市ヶ谷であり、

4月の訓練に入る前2日間を埼玉のHONDAの教習所で自動二輪の教習を受けました。

そして、4月25日に晴れて二本松訓練所に入所しました。

 

それからの日々はとにかく毎日仲間たちと濃い日常を送りました!

<1日の主なスケジュール>

  6:00 起床

  6:00〜7:10  洗濯&語学勉強

  7:10〜8:00  朝食&身支度

  8:10〜8:20  朝の集い

  8:40〜11:35  1〜3限【語学or 座学or 課外活動】

11:35〜13:00  昼食

13:00〜17:00  4〜7限【語学or 座学or 課外活動】

17:50〜18:50 夕食

19:00〜22:30 自由【自主講座に出たり、勉強したり、お風呂に入ったり、、etc】

0:00     就寝

 

のような生活で過ごしていました。

基本的に平日は訓練所のご飯を食べなくてはならず、(たまに夕食を軽めに食べてから飲みに行くこともありました)食事は土曜の夜から日曜が選択制でした(週の水曜までには申請書に〇✖形式に記入)

土曜日の17:00まで大抵授業があり、終わったら岳温泉まで降りて飲んで、リフレッシュ!日曜は、お出かけしたり、ゆっくり過ごしたり、フリーに過ごしていました。

 

そんな生活も残すところあと19日というところで、

なんとやってしまいました......。

 

そう!!

金曜日の夕方ちょっととあるスポーツをしていて、方向転換をした瞬間!

 

『痛っ!!!誰かに蹴られた!!!!』

 

 

と思った瞬間から、足に力が入らなくなったのです。

いやな予感がすごくしました。

ひねったわけではないのに、足に力が入らない。

助けてもらいながら自部屋近くの談話室で足を冷やし、たまたま理学療法士さんが訓練生にいたので診てもらい、

「確定診断はできないけれども、アキレス腱切れてる可能性が高いと思います」

頭をすごく強いもので撃たれたような感覚になり、相当気分が落ち込みました。

でもいま病院に行っても夜で救患しかないところに行って、整形外科以外の医師だったら、また明日来てください。といわれて帰らされるだろうし、訓練所よスタッフさんも夜で不在なこともあり電話での連絡のみで、今日は安静にして明日対応しようと決断にしました。

偶然にも生活班の子の友人に、福島在住で車を出してくださるという神がかった方のおかげで、翌日の土曜は授業をお休みし朝から福島市内の整形外科に行きました。

診察に入って、診察台に乗って足を触られた瞬間、

 

『アキレス腱切れてますね!!!』

 

覚悟はしていたもの、、、あぁ、、、って感じでした。

あと2週間で訓練終わるのに、そうしたらウガンダ行けるのに、、、。

でも、そう考えてももうどうしようもできないですね。

頭では理解できでも心が追い付かない感じでした。

診断書を書いてもらわなくてはならず、そのためにはMRIが必要なので、

別の病院でMRIを取り、また戻り診断書を書いてもらい、お昼過ぎに訓練所に戻りました。

そのあいだ生活班の子の友人は、そのあと用事があるにも関わらず、初対面の私にずっと付き添ってくれました。ほんと感謝でしかなかったです。

訓練所に戻ってから、生活班担当のスタッフさんと話し、

週末で所長も不在とのことで最終的な話し合いは月曜日に行うということになりました。

アキレス腱断裂して固定しながら生活も可能だが、とりあえず訓練終わるまでいて修了式まではしっかり出て、そのあと待機とかできないか?とかも聞いてみましたが、

まぁよく考えると、訓練所階段多いし、お風呂も大浴場で松葉杖なんて滑るし、

多くの人に迷惑かけるだろうな、とは思っていました。

生活班の子は、ほんとうにみんな優しく、

なにかあればいつでも言って!とか

私たちがサポートするから苦だなんて思わないから修了式まで一緒に乗りこえよう!とか、

ほんとうれしい言葉をたくさんかけてくれました。人が困っているとき落ち込んでいるとき、こういう言葉や行動を起こしたらいいんだな、と感じさせてもらえました。

今思い出しただけでも泣けてきます。。。

 

 土曜の夜には決断をし、日曜には周りの人にも気持ちを話はじめ、

最後の夜は生活班のみんなと賑やかに過ごしました。途中には、コミュニティ開発の同期、ウガンダの同期の子も会いに来てくれました。

いい仲間に巡り会えたな〜〜とつくづく感じた瞬間でした。

 涙が枯れるくらい泣くのはいつぶりだ!?というくらいに金曜日のケガしてから3日間泣きましたが、その分たくさん笑いました。

 

月曜日の午前中に所長と担当スタッフの方とお話をし、

最後に英語のホームクラスに人に会いたいという私のわがままをご許可頂き、2限と3限の間の休み時間に英語ホームクラスに会いに行き、隣の教室にいるテクニカルクラスの先生にも挨拶し、最後の身支度をして3限が終わってからお昼ご飯前ころに退所しました。

 

54日間ではありましたが、

ほんとにほんとーーーーに密度の濃い時間を過ごし、すごくいい仲間たちに出会いました。

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最後の正面玄関でもお別れのときの写真です。

右手はなんなんだ。笑

 

ここから実家まで帰るのがまた大変でした。笑

それはまた次回に!!